犬、猫以外のペットを飼っている方に質問します。ペットのお葬式にいくらまでかけても良いですか?
http://q.hatena.ne.jp/1106574138
近所で 葬式がありました。
どこまで 香典を したら よいのか 教えてください。
小さい団地にすんでいます。
日本にはクリスマスがありながらも火葬があったりと、キリスト教と仏教など全く異なる宗教の儀式があります。
クリスマスや葬式・火葬以外に日本の文化に溶け込んでいるさまざまな宗教的儀式を挙げてください。
なるべくポピュラーなものでお願いします。
http://q.hatena.ne.jp/1158338665
質問としてまとまらない気がしますので、雑談扱いで。
聞いてください≦(._.)≧ ペコ先日、祖父がなくなりました。
祖父母が(主に祖母だったかもしれません)お世話になった寺の住職が来て葬式をしてくださいました。
ところが。
戒名を見て目が点になったのです。
いわゆる「法名」の部分に「附」の字が含まれていました。
これはどういう意味なのかと首をかしげてたんですが待つまでもなくすぐに分かりましたorzその住職が通夜の日も、告別式の日も、初七日の日も(告別式と同日に行いました)延べ300人ほどの前でこう言い放ったんです「附」とは寄附の「附」だともっと皆様お布施の心を持つようにとそして祖父がどれだけ熱心に寺に寄進してきたかとうとうと説かれました。
食器棚に40万とか遺族として耳をふさぎたくなりました。
こんなときにこんなことをいえる神経が信じられないorzどう聞いてもこんなの「この家はいい金づるだった」としか聞こえませんよ。
繰り返し繰り返し聞かされて殺意さえ沸きそうになりました。
親族も住職のいないところで罵っていました。
戒名料が高いとかはよくあります生前戒名なんですが祖父の意思でつけたものではなく祖母が、祖父が入院している間に勝手につけてきたものなんです正直、こんな名前つけられて・・・。
私だったら多分化けて出たくなります戒名変えたいし、このお寺とも縁を切りたい、本当に。
でも祖母はまだ健在だからまた来るでしょうし下手をすると両親も(母は実家で葬式する宣言すればいいでしょうが父はどうしようもないような・・・)この寺で世話にならなければならないのかと思うとぞっとします。
仏教は信じたいんですが、こんなんだったら神道に宗旨替えしようかとか・・・orzうんと、①お寺を変えることは可能でしょうか②戒名を変えることは可能でしょうか(二七日法要もまだなんですが・・・)③お布施の心とは本来どんなものでしょうか。
遺族の前でもっとお布施をしろと説く心がお布施なんでしょうか?
どれか一つでもかまいません。
・・・・・・納得の行く答えが、ほしいですorz悲しみどころか怒りで沸騰してますので、頭を冷やしたいのですorz
①可能です。
・仏教から離れてしまう・仏教だけど、宗派を変える・宗派もそのままで、寺だけ変えるなどが、考えられますが、私は反対します。
お寺とお家の付き合いは代々のものですが、当代同士の付き合いはせいぜい2、30年です。
また、せっかく気に入って移った先のお寺が、代替わりした途端にひどい住職にあたるという可能性もあります。
先の回答者の言われる通り、お寺を変えるのは是非慎重に…。
最終手段ぐらいに考えてください。
②かなり難しいと思います。
住職本人は悪気無く付けた名前です。
戒名は、親が子に名前を付けるようなつもりで付けられると聞きます。
元来、人から言われたからと、すぐ簡単に変えるものではありません。
そこを無理言って変えてもらうことになる訳ですから、上手に言って納得して貰わねばなりません。
『「附」のイメージが悪いから』という言い方は避けて、『「附」の代わりにお祖父さんが好きだったこの字を一字入れて付けなおしてもらえませんか?
』、あるいは『祖父にしたら当たり前の事をさせて貰ってただけで、殊更に「附」という字を使われると面映ゆく思うと思いますので、この一字を変えていただきたい』という言い方の方が良いかと思います。
③「布施」は六波羅蜜という、六つの修行項目の一つです。
仏教の基本的な考え方として、「人はこの世で何一つ所有するものは無い」というのがあります。
しかし、生活する上で所有権をはっきりさせておかないと現実には生活できません。
とはいえ、「これは私の、あれも私の…」と、「我が、我が」の気持ち(我執)が前に出るようになると、他人と角突き合わしたり、我が身を欲の炎に焦がしたりという事になるのです。
そこで、欲をほどほどにして自分をコントロールする為に、敢えて自分の持ってるものを差し出すのです。
差し出すと同時に自分の欲を捨てるのですね。
これが「布施の行」なのです。
「布施の行」は布施する側(欲を捨てる側)と布施を受ける側(その行に付き合う側)がいて初めて成り立ちます。
人は一人で生きてるのではないと、他人とのご縁の中で生きてるのだと気付くのです。
布施の心とは、日々行を重ねながら、欲を少なくし、人とのご縁を感じることなのです。
私が思うに、その住職はセンスが悪く、話し方が下手なのだと思います。
単に、あなたのお祖父さんがいかに素晴らしい仏道修行を実践されてたかを言いたかったのだと思います。
良い意味で見習ってくださいと言いたかったのに、「寄附、寄附」というからガメツいこと言ってるだけに聞こえてしまう…。
熱心に寄附されたなら、篤志家の「篤」とか「徳が高い」の「徳」とか、他に表しようはいくらでもあると思いますが、あまりに直接的な「附」を選んでしまうセンス…。
まあ、悪い方向にばかり捉えず、上手にお寺と付き合っていかれたらいかがでしょう。
お祖父さんもそう願ってられるのではないでしょうか?